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2006年1月

2006/01/30

積み上げればいい。象(ぞう)の人へ

目標設定が非常に困難な自分。
しかし最近、いいことを聴きました。

目標設定してその目標に向かうことが逆にプレッシャーになったり苦手意識もったりする場合、たぶんそれは直感型の人。
で、その場合は

「積み上げていけばいい」
「方向性だけあればいい」
というものです。

だって行く先々のビジネスセミナーでは必ずと言って良いほど目標の明確化とか細かい設定にフォーカスされるのですが、すげー苦手。。。
感覚的なことは好きだけど、こう細かくされると、自分の目標に支配を受けているような感覚があって、重苦しかったんですが、上記のような考え方をすればそれでいいんだ!と荷が軽くなりました。

「それでいい」

積み上げていけばそれでいい。

そう考えると焦らなくていいんだ~と思えてきました。ラクになります♪
manmos
ちなみにぞうとは動物占いのぞうで、バースデーサイエンスでいうところの024です(ちなみに自分は024×024×024で表も裏もない一貫性のある024です)

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2006/01/28

第二回CANフォーラムに参加してみた

会社の経費でGLOCOM系のセミナーに参加。第二回CANフォーラムが品川にて。
ようやくほんのちょっと仕事と関連性がでてきた(笑)。

地域SNSについてだったが、ドコイコSNSやVARRYさんなど実際にエイヤッとSNSサイト立ち上げて軌道に乗せた方々の現場の声など刺激的でした。

鈴木健介さんはしかしすごい。
面白かったのは、
▼既存の友達のつながりは「感情的に好き、気が合う」というところからのつながりだが「この人は弁護士だからつながっていよう」という道具的なつながりなどもある。その辺の何らかのレイヤリング、階層付けなどがポイントになるのでは。そのレイヤリングに信頼度というフィルタか、他にもどういう意味を持たせるか。
▼SNSにさらにマップやらチャットやらとどんどん高機能化していくのではなく、実際にオフで会わないとコミュニケーションできない方向に向かわせることがポイントなのではということ。
▼SNSから最終的に個人につながるのは携帯端末、そこで収益がでるような構造にもっていくようになるのでは。

途中からご一緒させていただいたF代さんは
▼企業側の思惑がどうであれ、結局わいわいと楽しいものに人が集まってくるよね

ほんとそう思います。

ちなみに、帰りの品川駅では高木康政の限定キットカットが販売。F代さんは2,3個まとめ買い。
家で開けて食べたら美味しいのなんのってびっくりです☆
KITKAT

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2006/01/25

新庄ふゃんです

新庄が好き♪顔ではないがキャラクターが◎

ここのところHISの広告でキラキラした新庄機長の写真を見ると俄然力が沸いてきます。
なんてキラキラしてるんだっ!素敵すぎる>▽<

底抜けに明るいラテン系の漢求む(笑)

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2006/01/23

まぢ泣けた!「鏡の法則」

思わずボランティアクチコミします☆

だいたい泣ける泣けるといわれるコンテンツって最初から腹くくって読むのであまり感動しないほうなのですが、これはノンフィクションだけあってホントに涙しました。

まぁいいから読んでみて(ダウンロードです)。

読んだ人の9割が涙した話!

ショートストーリーブック(無料)
[人生のどんな問題も解決する知恵 『鏡の法則』]

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2006/01/17

選択の自由

自分に選択できる自由を与え、人に選択できる自由を与えることっていいことだなぁ~と今日思った。
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いま「これをやらないとこんな大変な目に遭うのだ」と恐怖を煽るようにして相手にプレッシャーをかけたりかけられたりすると、確かにコントロールはできるけれど「私はやらされています」状態になる。
そしてそれはコントロールされているほうは常に心理的負担を強いられている。

その心理的負担やプレッシャーの中では決して喜びを感じられないし主体性は生まれない。コントロールしている側にとってもされている側にとっても不自然だ。

だけど「こんな風になれるんだよ」「そのためにこのようにしていく」と希望溢れる姿やビジョンを示されれば自分から「選択」してこの道をいくだろう。

自らいま持っていたおもちゃを手放し、両手を挙げて喜んでその人の示す先に向かっていく。

その人が今までに感じたよりもより深い情で、大きな感動で、満ち足りた安らぎで、裏切りのない親心でつながった幸せで、その人を包んでいけばその人は自ら一緒に来たいと言う、これが人間なのだなぁと思った。

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2006/01/13

外貨FXセミナーに行ってみた

外為初心者によいと言われる外為ドットコムの無料セミナーに出てみた。

ただなのにお弁当まで出て、会場もすごく今風。
バブルの絶頂を知らない世代ですが、ちょっとバブリーな雰囲気を味わえました。

細かく損切りをしてリスク管理をしながら、長い目でみて得をしていく。
10万円からはじめられる様で。一緒に行った友人がすごいビジネスモデルの上手さだと友人が目を丸くしておりました。
外貨FX、ゲームみたいでなんだか非常に面白そうなのですがっ。

社会JINさんから教えてもらったリンク
外貨FXってなあに?

いつの日か、このブログが外為ブログになる日が来るかもしれません・・。

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MY2005年5大ニュース

かおりん。さんとroom119さんのエントリから、私も振り返ってみました。

1.自分至上最も大きな自己投資(4月)。
2.自己啓発セミナーに参加し始める(トータル○○○・・・円)(5月~12月)。
  9ステップに5月、7月スタッフ、9月メガイベント、11月遊びで、12月チャリティーイベント
  7月からのジョイズウェイメソッドで何かが変わる。顔や普段の時間の過ごし方、感じ方・・が変わる。
3.社内で希望していた仕事に変わる(7月)。
4.個人メルマガが1000人超える。これを通してIT系で活躍する方のコミュニティにまざる(笑)。
  カカトコリのコミュニティに入る。
5.今まで出会わなかったような良い形で成功しているこの世の成功者達に出会う。コミュニティに入る。

やったことで書けば旧年は「自己投資」に目覚めた一年でした。

動けば何かしら結果が出ることに気づけた年。
あとはいかにそれを楽しく「人生楽に」自動操縦でやっていくか。そしてバランス感覚を持ちながらやっていきたいですね。
精神的には年の終盤にこれまた津波のように色々ありましたが。

そして今年。次のエントリで。

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2006/01/12

脱皮しました

1月11日、マッキー脱皮宣言。

「脱皮」します。

・会話のずれから
・感覚のずれから
・気持ちのずれから
・自己中から周りへの関心へ
・依存体質でなく自立した大人へ
・つらく苦しいことがないと前に進めないと思っていることからリラックスして夢と快楽の状態にいる自分を許すことへ
・ネガティブな言葉から勢いをもったポジティブな言葉へ
・自己投資を投資から回収へ
・感情を共有できる友人へ
・自分を楽な方向へ

すりゃいいのよ。

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2006/01/06

のこるもの2

この年末年始で感じていたことの回想。
先日の知人の死でそれがより鮮明になった。

この世界で価値あるものとはなんだろう。心の情の成長じゃないかと思う。

自分自信をデザインして創造し、生きているこの時間に分かち合える価値があるとすると
「いかに人と深い人間関係を築けたか」のように思う。

裏切り得ない関係、信頼関係で結ばれた情の関係を沢山培っていくこと。

物質世界を超えても「在る」のが人の情。

おそらく既に地上を去った多くの人々や先祖も、この世界で培った情をもっていて、良くも悪くも様々な感情を味わい続けているに違いない、魂や人の情はなくなりはしないんだろうと感じる。感覚的にだけど。

いまここで魂と身体を伴って生きているけど、身体はある程度の成長期の山があるとすれば、一方で魂の成長、体と一緒にしゅんとしぼんでいくような人の情って見たことがない。愛情の栄養素を吸収して右肩あがりに成長し続けているように思える。
情の刺激の喜びって限界がない、ということはその先に希望がある。変化しつづけることができる刺激と喜び。

身体をもって生まれた一生の中で創るべき財産、廃れ得ない財産になるんじゃないか。

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のこるもの

身近な人がなくなった。
出会って半年。

なくなるにはあまりに若い年齢だった。
そして突然だった。

人が死んでも残るものはなんだろうか。

人の体はやがて灰に還る。
どんな物質も残らない。しかし、必ずのこるものがある。

・・・「情」だ。

その人と過ごしたほんの食事の時間、おしゃべりの時間の中で感じた人としての情。
父親のような、包むような深い人情、優しさ、力強さ、愛嬌、人間味。

そして短い時間の中で、私に注がれた人の情は、間違いなく自分の中に食物として摂取され、
「自分を気にかけてくれている」「自分の存在を認めてくれた」「愛された」
実感として自分の中で情という人の形をしたものの成長の糧になっている。

情は廃れ得ない。

人々の記憶の中でやがて忘れ去られることはなく、魂の糧として見えない世界で永遠不滅に質量を伴っているのではないかと感じる。

あることさえ忘れるような空気のようなものかもしれない。

しかし確実にある。

そんな豊かな情を遺してくれた彼に言いたい。

「ありがとう」

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